ViolaとNmodeは使い分けがきく

高解像度なソースを厳格に聴くには?
オーディオ批評は、常に客観的でなければならない。ゆえに今日も(好みに左右されず)客観的に書く。
実は買ったばかりのViolaと、Nmodeを並べて聴いて非常に驚いたことがある。ソースによっては、あるいはリスナーの音の好みによっては、なんとNmodeはViolaと使い分けできそうなのだ。
具体的には、私が持ってるCDでいえば2000年代以降の音質のいい現代ジャズだ。加えて、Michael MarcianoかJames Farber、Michael Brorbyのいずれかが録音エンジニアを務めている盤なら、お好みでNmodeで聴いても不満はない。50万程度のアンプが、数百万のアンプと使い分けできる、というのだからびっくりである。
(ただし爆音でなく中音量か小音量限定。ゆえに疲れているときは小音量のNmodeがいい)
ちなみに上述した3人のエンジニアが作った盤は、(1)解像度が高い(2)空間表現が立体的(3)高域が伸びて見通しがいい(4)透明感がありすがすがしいーーという点で一致している。つまりNmodeの特徴と同一なのだ。
特に3人のうちMichael Marcianoは高域が煌びやかで、人によっては高域に強調感があると感じる音だ。これがNmodeのテイストとドンピシャで合う。また低域が絞れて人によっては低音の量感が足りないと感じる点でも、Marcianoの音作りとNmodeのテイストは一致している。
したがって「オーディオの音を聴きたい」というのでなく「音楽を聴きたい」(ソースの良さ・特徴を味わいたい)という人なら、ViolaとNmodeをソースによって使い分けできるかもしれない、ということだ。
ちなみに(1)解像度が高い、と書いたが、厳密には解像「度」ではなく解像「感」だ。客観的なデータとしての解像度が高い、ということではなく、耳に聴いた感じの「あっ、解像度が高いな」というテイスト。すなわち「解像感」である。ViolaよりNmodeの方が解像度が高い、という意味ではない。
いやぁ、結論からいえばNmodeって厳格な音で、まるで合気道の達人が常に正座してメシを食ってます、みたいな鳴り方なんだよね。だから楽しげで和気あいあいとしたくつろぎ感のあるマイルス・デイヴィスの「スティーミン」はNmodeに合わないし、正座して音楽聴くとき限定なのだ。
いや、それにしてもViolaとNmodeは使い分けがきく、ってビックリでしょ?