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続・ブラインドテストは意味あるか?

人間は五感を使って対象を感知する

 たとえばワインを飲むとき、人間は何をどんなふうに感じるだろう? まずワイングラスから立ち上る芳醇な香りを嗅ぎ、舌先や咥内でワインを転がしながら「この銘柄はおいしい」と感じるはずだ。ざっと考えただけでもこのケースでは、嗅覚と味覚、触覚が「うまさ」に関与している。

 あるいはニンニクが芳しいペペロンチーノ(パスタ)を食べるとき、人間は何をどんなふうに感じるだろうか? まず皿から立ち上る芳醇なオリーブオイルの香りをかぎながら咀嚼し、その歯触りまでを味わいながら「このパスタはうまい」と感じるだろう。このケースでも嗅覚と味覚、触覚が「うまさ」に大きく関わっている。

 まさかワインの品評会で、「思い込みのせいだ。それでは本当にうまいかどうかわからない。テスターは必ず鼻に栓をして飲め」とか、「テスターはワインを口の中で転がさずにすぐ飲み込め。でないと純粋な味がわからない」などと言う審査員はいないだろう。

 すなわちワインの利き酒では、味覚だけでなく嗅覚や触覚まで含めたトータルな意味での文化的価値が試される。飲んだワインで「満たされた気持ち」になるかどうかが重要なのだ。

 ひるがえってオーディオの世界ではどうか? こうした心理的な要素は常に「悪役」にされる。やれ、「太いケーブルはプラシーボの元だ。目隠しをして音を聴け」。やれ、「厚みのゴツいアンプは先入観を生む。筺体はぜったい見ずに聴け」。一事が万事こんなふうだ。

 しかしオーディオのデザイン性が生む文化的価値は非常に重要である。デザインがよければ所有する満足感も大きくなる。デザインが生む精神面での充足感は計り知れない。にもかかわらずオーディオではブラインドテストで「音だけ」聴き、「この製品には価値がない」などとやる。

 これがいかにナンセンスなことか、おわかりいただけるだろうか?

 オーディオのデザインは重要だし、所有することによる満足感だって大きい。このアンプにどれほどの価値があるか? は、当然デザインや所有欲が「込み」に決まっている。

 オーディオとはそうした贅沢感や、所有する喜び、満足感のような心理的側面まで含めたトータルでの価値判断がなされるものだ。ブラインドテストでは、こうした文化的価値までは割り出せない。

 大胆に言ってしまえば、音だけ聴いて一体何の意味があるのだろうか? 

テーマ : オーディオ機器
ジャンル : 音楽

「個性的なオーディオ」は邪道か?

「色付けのある音」といえば、とかくピュアオーディオの世界では嫌われる。

 なんでもソースの音を忠実に再現するオーディオがいいらしい。

 だが、それ自体が色をもつ「個性的なオーディオ」がなぜダメなのか?

 その音が「自分にとって」楽しければ別にいいじゃないか。

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電源ケーブル、この甘くせつない誘惑

何が彼らを駆り立てるのか?

 ネット上でよく見かける論争のひとつに、「電源ケーブルで音は変わるか?」がある。

 音が「変わらない派」は「メーカーや業者は電源ケーブルで○万円も取って暴利をむさぼっている。社会悪だ!」のような主張をする。

 また音が「変わる派」に対し、「それほど音が変わると主張するなら、自分でブラインドテストをして客観的に証明してみせろ」などと強要したりする。その執着心たるやものすごい。

 こんな奇妙な現象は、オーディオの世界以外ではありえない。たとえばオーディオに負けず劣らず、強いこだわりや独善、偏見が跋扈する「ラーメン愛好者」の世界はどうか?

「ラーメンは博多に限る。いちばんうまい」という人に、「なぜ博多ラーメンなんだ! では博多ラーメンが世界一うまいことを、ブラインドテストで客観的に立証しろ!」などと強要する人はいない。

 また同じオーディオの世界でも、不思議なことに「ラック」のブラインドテストを主張する人はいない。ラックだって何万円もするのに、「ラックで儲けるのは社会悪だ!」などと声を上げる人はいない。

 同様に1個○万円もするインシュレーターはふつうにあるが、「社会悪だ!」とか「インシュのブラインドテストを遂行せよ!」などと主張する人はついぞ見たことがない。

 同じように300万円のプリアンプはふつうに存在するが、「アンプは社会悪だ。根絶せよ!」とか、「アンプで音が変わるなんて客観的データやブラインドテストで証明されてない!」などと戦う人も見かけない。

 結局、どのアイテムも音が変わるか変わらないかは客観的に証明されてないし、社会的な統一基準などはない。また怪しいぼったくりの雰囲気が漂う点も同じだ。

 なのになぜ、人は電源ケーブルだけをヤリ玉にあげるのだろうか? どうして電源ケーブルだけを悪者にしたがるのか? なぜ人は電源ケーブルだけを執拗に追及するのか?

 変わると言うにしろ、変わらないと主張するにしろ、なぜ人はこれほど電源ケーブルに熱く執念を燃やすのだろうか?

 何が彼らをそうさせるのか?

 電源ケーブル――。

 それは人を惑わす琥珀の香りがする。

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それは旧「レフィーノ&アネーロ」から始まった

 前回、秋葉原の路面にあった高級オーディオ店、旧「レフィーノ&アネーロ」の話をした。DYNAUDIOの取り扱い店だったこのショップには、ずいぶんお世話になったので思い出も多い。我が家のDYNAUDIO C1に組み合わせるアンプ試聴の旅をスタートさせたのも、このお店だ。

 担当して下さったのは、真空管アンプの猛者であるK氏だ。私が出した試聴希望機種があまりに多いので、試聴は何日かに分けて行うことになった。試聴機はすべてメーカーから取り寄せてもらった。

 試聴室を予約し、K氏とも相談の上、初日は真空管アンプを2機種入れた。まずトップバッターはUNISON RESEARCHの「Sinfonia」だ。

1

 こってりした艶と潤いのある躍動的な鳴りで、深い味わいのある音だった。おそらくクラシックの弦楽やヴォーカルあたりを再生させると持ち味が出るのだろう。

 だが当時、私はすっかり高解像度ハイスピードでトランジェントのいい音にハマっていたので、このアンプの個性とは180度ちがう。で、あえなくボツになった。次の機材の搬入のためK氏が試聴室に入ってきた。感想を聞かれたが、どう返事したかは覚えていない。

 二番バッターは同じく真空管アンプの「OCTAVE V70」である。

1

 OCTAVEはお気に入りのブランドだ。このアンプは気品のある音で、真空管アンプのいいところと、トランジスタアンプの長所を掛け合わせたような鳴りだった。

「真空管」というイメージに反し「ぼってりした音」ではなく、ソースによってはむしろシャープな切れ込みを見せる。だが真空管ならではの温度感や角のない丸さも備えている。

 かなり気に入ったが、ただ惜しいのは分離のよさが思ったほどでなかった点。ソースによっては低音がやや混濁するところも意に沿わなかった。K氏にはその旨を伝え、本日の最終バッターへ。プライマーのセパレートだ。
PRE_30
 ご想像通り、このアンプは前の二者とは180度コンセプトが違う音だ。分離がよく、立体的な空間表現がリアルそのもの。解像度も高くトランジェントもいい。ここまでは私の希望通りだ。

 だが惜しいかな、ソースが合わない。例えば70年代の泥臭くホットなR&Bやスワンプロックを再生させると、音源の持つ(いい意味で)ワイルド&ルーズな「味わい」がまったく出ない。すごく「きれいな音」だが完全によそ行きデス、という感じ。前の2機種のようなホットさがない。

 まあ2000年代以降の録音のいいジャズやクラシックを再生させると文句なしなのだろうが、クラを聴かない私には宝の持ち腐れである。

 試聴の旅・第一弾である本日のセッションが終わり、担当K氏と顔を見合わせた。

「うーん、どれも一長一短なんですよねぇ。今日のアンプに50~100万出しても、得られる満足が価格分はない。それなら思い切って100万以上のクラスも視野に入れたほうがいいんでしょうかね。たとえばいつも聴かせてもらってるVIORAだったら、何もいうことはないんですけどねぇー」

 するとK氏があきれて一言。

「いやぁ、基準があれ(VIORA)になっちゃうと、ほかのアンプは聴いても意味ないですよ(笑)」

 かくて一回戦は終わり、ここから関東一円を巡るアンプ試聴行脚の長い長い旅が始まった。時にはC1をわざわざ梱包した上でタクシーにぶち込み、オーディオ・ショップに乗りつけたことだって何度もある。通算すれば、使ったタクシー代だけで軽くスピーカーが買えるだろう。

 気が向いたら、それら二回戦以降のアンプ試聴記についても、てんやわんやの泣き笑い行脚を書くかもしれない。

 では、乞うご期待。

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オーディオ試聴のコツは「相対評価する」ことだ

CDPが変わっただけでまったく別の音になる

 秋葉原にまだ旧「レフィーノ&アネーロ」という超高級オーディオ店があったころの話だ。1Fフロアの一角にはDYNAUDIOのコーナーがあり、店頭でVIOLAのセパレートと組み合わされていた。

 気が向いて通りすがりに店へ行くと、いつもCADENZA(プリ)とSYMPHONY(パワー)でDYNAUDIOのC1を楽しませてもらっていた。CDPはSONYのハイエンド機(100万くらい? 型番は失念)だった。

 まだC1を買う前の話だ。余談だが、このころ聴いたVIOLAの超重量級の音が忘れられず、後日C1のアンプ選びにはえらく苦労した。(他製品ではどうしても満足できず、実際にVIOLA購入寸前まで行った)

 それはともかく。

 なわけでレフィーノへ行くと、すっかりC1+VIOLA+SONYとの蜜月が続いていた。だがある日いつものように店を訪れると、突然CDPが私の超苦手なアキュフェーズのハイエンド機に変わっていた。

 恐る恐る音を出してみた。するとそれまでのまろやかで芳醇なあの味わいが完全にすっ飛び、ひたすらキリキリと耳をつんざく痛い高音が響き渡った。音というより、あれは「痛み」でしかない。

「CDP単体の音」をハッキリ認識した瞬間だった。

 つまり結果的に私は、「CDPの音のちがい」を聴き分けたのだ。

 ずっとてっきりあれは「VIOLAの音だ」とばかり思っていたわけだが、あのまろやかで芳醇な音にはSONYのCDPも相当程度貢献していたわけだ。それまで「このSONYのCDPはどんな音か?」なんてまったく考えたこともなかったので、偶然とはいえ貴重な体験をさせていただいた。

 こんなふうにオーディオの試聴では単にお目当ての機器を聴くだけでなく、あえてまったく別の機器と聴きくらべてみると、逆に目的の機器自体の音がよくわかる。つまり候補の1機種だけを聴く「絶対評価」でなく、別の機器と聴きくらべてみることにより相対評価することがコツなのだ。

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耳に合わせてモノを買う

 ミニコンポしか所有したことがないある人に、スピーカー購入について相談された。なんでも家の新築を機に、オーディオを誂えたいという。

 聞けば、候補はなぜか10万クラス、20万クラス、30万クラスの3機種と一貫性がない。どうやらネットだけで評判を調べ、リストアップしたためらしい。彼は言う。

「いや店で比較試聴はしたんだ。だけど音のちがいがイマイチよくわからず、決め切れない。でもどうせ買うなら、いちばん上の機種にしておいた方が後悔しないんじゃないかなぁ。どう思う?」

 で、私はこう言った。

「あと10回くらい店に通って比較試聴し、それでも違いがわからなければいちばん安いやつにしておきな。価値がわからないモノにお金を使うことはないよ」

 で、結局、彼は10万円のスピーカーを買い、余ったお金でCDを10枚まとめ買いして帰ってきたという。健全だなぁ。

 買うか? 買わないか? 

 気持ちが煮え切らないうちの人間は、「安い方を買うのがおトクでは?」と考える。だがいったんどれかを「買う」と腹を決めたとたん、「いちばん高いものを選ぶのが無難だろう」てな心理が働く。

 だがモノの価値がわからないうちは、節約しておいた方がいい。やがて将来、価値がわかるようになったとき、自分の耳にふさわしいものを買い直せばいいだけの話だ。彼が今回支払った10万円は、それまでの授業料である。

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音が悪いと感動できない?

 音楽の目的は、人の心を動かすことだ。

 技術や品質はそのための手段にすぎない。

 ヘタでも心に刺さる歌があるように、別に音が悪くても人を感動させることはできる。

 演奏者の魂がたっぷり詰まった演奏なら、山は動かせる。

 ゆえに音質は感動の絶対条件ではない。

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プロフィール

Dyna-udia

Author:Dyna-udia
DYNAUDIOというスピーカーに出会ったせいで、こんなブログをやってます。

SP:Dynaudio Confidence C1 platinum,
Pre AMP:Viola Cadenza,
Power AMP:Viola Symphony,
DAC:SOULNOTE dc1.0,
CDT:SOULNOTE sc1.0

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