「オーディオは部屋が重要」って本当か?
あなたはオーディオのために生活を犠牲にできるか?
スピーカーは何がいいか? ではアンプは? などと話が咲いているところにマニアの人がくちばしをはさみ、「部屋がだめなら何をしてもムダ。広さと反響が最大の問題だ。部屋のよしあしは、機器の組み合わせ以前の問題だよ」
ラーメンは何がうまいか? しょうゆラーメンか、それとも味噌か? って話をしてるところに、いきなり「ラーメンはどんぶりが最大の問題だ」と冷や水を浴びせかけられ座が白けちゃった、みたいなお話。ではこのマニア氏の説、信憑性はいかに?
ひとつたとえ話をしましょう。
オーディオにおける部屋の位置づけを、アコースティックギターに例えて考えてみます。アコギは弦の振動を内部に一定の空間を確保したボディで増幅し、その結果として音が出ます。この場合、「弦」はオーディオ機器に、「ボディ内部の空間」は部屋に例えられるでしょう。
「ボディ内部の空間」=部屋が充分な容積を確保できていなかったり、「ボディ内部の空間」=部屋による音質コントロールがきちんとできていなければ、いくら「弦」=オーディオ機器ばかりいいものであっても、当然まともな音は出ません。そう考えれば、部屋はオーディオの一部であるといえます。
さて、ですがここから議論はまっぶたつに分かれます。なぜならルームアコースティックとオーディオの関係性の議論が決まってまとまらないのは、各人の価値観の違いが原因だからです。
簡単にいえば、「部屋はオーディオの一部である」、これは前提。ただしそこから先、「だったらオレは、もう部屋をいじるレベルまで突っ込む気はないよ。自分は快適な生活を送りながら、できる範囲でオーディオだけをいじって満足するよ」というタイプの層が片方にいる。
一方、もう片方の人たちは、「部屋はオーディオの一部である」。これは前提(ここまではさっきと同じ)。で、「であるがゆえに資材と手間を可能な限り投入し、オレはルームアコースティックに最大限、注力するつもりだ」という人たちがいる、と。
前者について、少しわかりやすい例をあげましょう。たとえばAさんのケースがそうです。彼は一度は音質を優先し、ブックシェルフ型のスピーカーをスピーカースタンドに設置しました。するとリビングの生活スペースは取るわ、見た目は無骨だわ、で奥さんや家族から大ブーイング。で、結局、彼はスタンドを処分し、オーディオより日常生活を優先しました。
こんなふうにオーディオの音質と日常生活の利便性は、たいていトレードオフの関係にあります。
まとめましょう。
いわば「オーディオのためにどこまで日常生活を犠牲にするか?」という問いに対し、前者の人は「そこまでやる気はない。日常生活の方が大事だ」という。かたや後者は、「オレは万難を廃して生活を犠牲にする。オーディオが主役の暮らしをするつもりだ」という。
この両者の価値観の違いは決して埋まりませんから、これ以上議論しても意味はありません。まあ面白い議論ではあるんですけれどね。さて、ではここから導き出される結論は何か?
オーディオで重要なのは機器の組み合わせではない。もちろん部屋のよしあしでもない。最大の問題は、「オーディオのためにあなたはどこまで日常生活を犠牲にする気があるか?」なのです。
スピーカーは何がいいか? ではアンプは? などと話が咲いているところにマニアの人がくちばしをはさみ、「部屋がだめなら何をしてもムダ。広さと反響が最大の問題だ。部屋のよしあしは、機器の組み合わせ以前の問題だよ」
ラーメンは何がうまいか? しょうゆラーメンか、それとも味噌か? って話をしてるところに、いきなり「ラーメンはどんぶりが最大の問題だ」と冷や水を浴びせかけられ座が白けちゃった、みたいなお話。ではこのマニア氏の説、信憑性はいかに?
ひとつたとえ話をしましょう。
オーディオにおける部屋の位置づけを、アコースティックギターに例えて考えてみます。アコギは弦の振動を内部に一定の空間を確保したボディで増幅し、その結果として音が出ます。この場合、「弦」はオーディオ機器に、「ボディ内部の空間」は部屋に例えられるでしょう。
「ボディ内部の空間」=部屋が充分な容積を確保できていなかったり、「ボディ内部の空間」=部屋による音質コントロールがきちんとできていなければ、いくら「弦」=オーディオ機器ばかりいいものであっても、当然まともな音は出ません。そう考えれば、部屋はオーディオの一部であるといえます。
さて、ですがここから議論はまっぶたつに分かれます。なぜならルームアコースティックとオーディオの関係性の議論が決まってまとまらないのは、各人の価値観の違いが原因だからです。
簡単にいえば、「部屋はオーディオの一部である」、これは前提。ただしそこから先、「だったらオレは、もう部屋をいじるレベルまで突っ込む気はないよ。自分は快適な生活を送りながら、できる範囲でオーディオだけをいじって満足するよ」というタイプの層が片方にいる。
一方、もう片方の人たちは、「部屋はオーディオの一部である」。これは前提(ここまではさっきと同じ)。で、「であるがゆえに資材と手間を可能な限り投入し、オレはルームアコースティックに最大限、注力するつもりだ」という人たちがいる、と。
前者について、少しわかりやすい例をあげましょう。たとえばAさんのケースがそうです。彼は一度は音質を優先し、ブックシェルフ型のスピーカーをスピーカースタンドに設置しました。するとリビングの生活スペースは取るわ、見た目は無骨だわ、で奥さんや家族から大ブーイング。で、結局、彼はスタンドを処分し、オーディオより日常生活を優先しました。
こんなふうにオーディオの音質と日常生活の利便性は、たいていトレードオフの関係にあります。
まとめましょう。
いわば「オーディオのためにどこまで日常生活を犠牲にするか?」という問いに対し、前者の人は「そこまでやる気はない。日常生活の方が大事だ」という。かたや後者は、「オレは万難を廃して生活を犠牲にする。オーディオが主役の暮らしをするつもりだ」という。
この両者の価値観の違いは決して埋まりませんから、これ以上議論しても意味はありません。まあ面白い議論ではあるんですけれどね。さて、ではここから導き出される結論は何か?
オーディオで重要なのは機器の組み合わせではない。もちろん部屋のよしあしでもない。最大の問題は、「オーディオのためにあなたはどこまで日常生活を犠牲にする気があるか?」なのです。
tag : ルームアコースティックオーディオと部屋