正確性からグルーヴ感は生まれない
「あいつは機械みたいにうまいな」
生演奏を聴きながら、ミュージシャン仲間や音楽好きの間でよくこんな言葉が交わされる。一見、その演奏者をほめているようだが、実は皮肉を込めたセリフだ。「あいつは機械みたいに正確な演奏をするが、機械みたいに味気なく面白みがないな」という意味である。
で、実はこれと同じことがオーディオ機器にもいえるのではないか? というのが今回のお題だ。
バカテク(バカみたいにテクニックのある演奏者)がよくこんな皮肉を言われたりするのだが、一例をあげればジャズ・ベーシストのジョン・パティトゥッチなどはその典型だ。
彼はものすごく技術のあるプレイヤーだが、どこか無機的で「気持ち」が感じられない。「どうせこのステージは仕事だから」と割り切り、やりたくもない演奏を機械的にこなしてるわけでもないのだろうが……どうもこの人がベースのフレットを指で押さえたときの、その指先に込めた熱い想いが伝わってこない。すごくテクニカルで極めて正確なプレイをするのだが、まるで魂のない機械が演奏しているみたいで、この人の演奏を聴いて「涙を流す自分の姿」が想像できない。
すなわち演奏の正確性からは、グルーヴ感(人を感動させる音)は生まれないのだ。
逆に黒人のドラマーなどに多いが、メトロノームで正確に拍を取ったような「ジャストビート」からは微妙に前や後ろにリズムがズレているのだが、でもその微妙な「ゆらぎ」が逆にうねるようなノリを生んでいる、人間臭い強烈な熱気を観客に放射してくる、みたいな味のあるプレイヤーもいる。つまりある種の「ズレ」がグルーヴを生むのだ。
「正確であること」を売りにするハイエンド機器って多いが、実際に聴いてみると味気なくてつまらない音だったりすることも多い。
かと思えば逆に廉価でノイジーな真空管アンプが、演奏者の「気」をありありと眼前に浮かび上がらせてくれたりする。本体のどっかがガタピシいいながらも、「こいつは熱くてすごいぜ!」と唸ってしまうことがある。
結局は「どこに価値を見出すのか?」というリスナー個々の価値観次第で、絶対的な正解なんてないのだが、少なくとも私の場合は「原音忠実再生」原理主義みたいな世界とは縁遠いようだ。
生演奏を聴きながら、ミュージシャン仲間や音楽好きの間でよくこんな言葉が交わされる。一見、その演奏者をほめているようだが、実は皮肉を込めたセリフだ。「あいつは機械みたいに正確な演奏をするが、機械みたいに味気なく面白みがないな」という意味である。
で、実はこれと同じことがオーディオ機器にもいえるのではないか? というのが今回のお題だ。
バカテク(バカみたいにテクニックのある演奏者)がよくこんな皮肉を言われたりするのだが、一例をあげればジャズ・ベーシストのジョン・パティトゥッチなどはその典型だ。
彼はものすごく技術のあるプレイヤーだが、どこか無機的で「気持ち」が感じられない。「どうせこのステージは仕事だから」と割り切り、やりたくもない演奏を機械的にこなしてるわけでもないのだろうが……どうもこの人がベースのフレットを指で押さえたときの、その指先に込めた熱い想いが伝わってこない。すごくテクニカルで極めて正確なプレイをするのだが、まるで魂のない機械が演奏しているみたいで、この人の演奏を聴いて「涙を流す自分の姿」が想像できない。
すなわち演奏の正確性からは、グルーヴ感(人を感動させる音)は生まれないのだ。
逆に黒人のドラマーなどに多いが、メトロノームで正確に拍を取ったような「ジャストビート」からは微妙に前や後ろにリズムがズレているのだが、でもその微妙な「ゆらぎ」が逆にうねるようなノリを生んでいる、人間臭い強烈な熱気を観客に放射してくる、みたいな味のあるプレイヤーもいる。つまりある種の「ズレ」がグルーヴを生むのだ。
「正確であること」を売りにするハイエンド機器って多いが、実際に聴いてみると味気なくてつまらない音だったりすることも多い。
かと思えば逆に廉価でノイジーな真空管アンプが、演奏者の「気」をありありと眼前に浮かび上がらせてくれたりする。本体のどっかがガタピシいいながらも、「こいつは熱くてすごいぜ!」と唸ってしまうことがある。
結局は「どこに価値を見出すのか?」というリスナー個々の価値観次第で、絶対的な正解なんてないのだが、少なくとも私の場合は「原音忠実再生」原理主義みたいな世界とは縁遠いようだ。