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至高のスピーカー、DYNAUDIO CONFIDENCE C1を買った

DYNAUDIO CONFIDENCE C1

 ついに買ってしまった。

 人生の最終目標だったはずのスピーカーを。DYNAUDIOの最上位ブックシェルフ、CONFIDENCE C1である。

 しかし不思議だ。もっとルンルンしてていいはずなのに、とても奇妙な感覚にとらわれている。えもいわれぬ不思議な体験だ。

「あれは人生の最後でやっと手にできるはずのスピーカーだぞ」

「なのにこんなに早く買っていいのか?」

 そんなヘンな感覚がつきまとう。

 私はトールボーイを聴くとみんなブーミーに聴こえる。だからブックシェルフ以外興味はない。とすればその頂点に位置するCONFIDENCE C1は私にとって「双六の上り」であり、「もうあとは何もすることがない」状態なのだ。引退し、余生を送るだけの人ってこういう感覚にとらわれるのかな? みたいな感じ。

 すごく欲しい物を手に入れ、なのにこんな奇妙な感覚に襲われるのは生まれて初めてだ。たぶんそれだけあのスピーカーは、私にとって特別な存在だったのだろう。

強烈なダンピングのきいた極上の低音

 先日、同じDYNAUDIOでひとクラス下のブックシェルフであるCONTOUR S1.4を比較試聴してきた。先にCONTOUR S1.4を聴いたのだが、度重なる試聴ですっかり「CONFIDENCE C1の耳」になっている私の聴覚には、響いてくるものは何もなかった。正直なところ、1曲聴いたらもう充分だった。

 でもせっかくセットしていただいたのに申し訳ないから、4曲ぐらい聴いてからCONFIDENCE C1に替えてもらった。

「これだよ」

 またいつもの「圧倒的な感覚」に襲われた。強烈なダンピングのきいた、いい意味で非常に辛く質のいい低音。またもやガクゼンとし、腰の力が抜けた。密度感とスピード、解像感、躍動感、適度な量感がすべて同居する極上の低音だ。この音を聴いていると興奮のあまり思わず涙腺がジワーッと緩み、涙が出てくる。

  とはいえ今まで実際に「泣けたスピーカー」はこのCONFIDENCE C1と、同じDYNAUDIOのSP25の2機種だけだ。SP25はC1とはまるでちがう方向性の音だが、でも泣くに値するすばらしいスピーカーである。

 私にとって「スピーカー」なる装置は、これら2機種とATC SCM19、そして元から所有しているDYNAUDIO Audience 42の4機種を指すといっても過言ではない。

C1は鳴らすアンプを選ぶか? 

 さて今までの試聴でC1を鳴らしたアンプは数え切れない。上は数百万クラスまで数十機種を試したが、このスピーカーはいわゆる鳴らしにくいスピーカーではない。むしろ体感的にはサブで使っているAudience 42のほうが頑固な聞かん坊だ。

 C1は例えばATCのように、アンプの粗や能力の限界を暴くような鳴り方はしない。その意味では昔の「DYNAUDIO=アンプを選ぶ」というイメージとは正反対だ。むしろアンプに優しく寄り添い、アンプの個性を発揮させるような鳴り方をする。

 電力効率が高く制動力のあるデジタルアンプならこなれた価格の製品でも鳴るし、アナログアンプでも個々のグレードなりによさを引き出す鳴り方をする。通りすがりの店頭でAura noteに繋がれた個体を聴いたことがあるが、充分いい音だった。

 C1は昔のDYNAUDIOのように、鳴らすアンプを捜してオーナーに乗り換えの苦難を強いる強欲者ではない。

 C1を手に入れれば、あとは音楽を楽しむだけだ。

【関連記事】

『【アンプ選び試聴記】 DYNAUDIO CONFIDENCE C1をお見合いさせた』

『「あたしを捨てるのね?」とAudience42はけなげに鳴った』

『ATC SCM19、暴力的なまでにアグレッシヴな低域の魔力』

『DYNAUDIO SPECIAL 25、甘く大らかな母なるもの』

『DYNAUDIO EXCITE X12、繊細なのに躍動するDYNAの不思議』

『DYNAUDIO DM2/6、実売10万クラスの最終兵器』

『FOCUS 110が生産終了って本気ですか?』

tag : DYNAUDIO_CONFIDENCE_C1CONTOUR_S1.4SP25SCM19Audience42

FOSTEX GX100にカサンドラ・ウィルソンが泣いた日

FOSTEX  GX100

■スピーカーはアンプでこれだけ変わるのか?

 満を持して登場したFOSTEX GX100だが、あいにく試聴する機会がなかった。だけど待てば海路の日和あり。運良く2度に分けて聴くチャンスを得たので、アンプと場所を変えてじっくりチェックした。

 最初に合わせたアンプは懲りずにSOULNOTE sa1.0だった。しかし明らかに力不足で、私が持参した重いソースを持て余し気味に。そこで同ma1.0に切り替えしばらく聴いたが、やはり好みではないSOULNOTEだ。ベースは輪郭がパキパキに出過ぎる「ギャイン」という音で、これは私がまだベースを弾いてた時代、絶対にしなかったセッティングである。うーん。

 ma1.0でも涼しげな軽めのノリは変わらず、躍動感やエネルギー感がない。軽めで脂っこくない小編成のジャズやヴォーカル、室内楽ならまあ聴けるかな、という感じだ。

 ソースの状態を選ぶ気配も濃く、録音が古いものやラフな音源はたちまちアラが出てしまう。ラフなタッチが持ち味のソースは全滅だった。

■アンプを替えれば泥臭いファンクやR&Bもイケる

 うむむ、やはり好みの音楽を表現できるアンプでなきゃだめだ。で、しつこく機材と場所を変え試聴することにした。今度はウォーム系のLUXMAN L-590AIIと、PASS INT-150の2機種でやってみた。CDプレーヤーはMarantz SA-11S2だ。

 GX100はあきらかに寒色系のスピーカーだが、私は寒色系って好きじゃない。だからあえて逆方向のアンプを合わせ、バランスを取ろうって作戦だ。

 結果、敗者復活戦は大ホームランだった。打って変わってすばらしいデキである。

 前述の通り、SOULNOTEでは軽めのソースしか聴けなかった。だがアンプを替えたら音に腰や力強さ、躍動感が加わり、たちまち70年代のニューオーリンズ・ファンクやR&B、スワンプなどがバリバリ鳴るようになった。

 きれい系の音楽しか受け付けないイメージだったGX100だが、案外、泥臭いジャンルもいける。また高音質系のフュージョンやジャズのピアノトリオなど、本来得意なソースはむろんハマりまくりだ。

 アンプを替えると聴ける音楽がこれだけ広がる。やはりモニター系のスピーカーはアンプの色がモロに出るなと実感した。

■低域は思ったより量感があり非常に俊敏だ

  さてLUXMAN L-590AIIやPASS INT-150で鳴らし、いちばん変化したのは低音の質感だ。ベースは適度にエッジが立ち、高音部のイヤな張りがなくなった。暖色系で丸い音のアンプに替えるとこうなるのだ。

 また驚いたのは低音の量感である。G1300に代表されるようにFOSTEXのこのシリーズは、どの製品もいい意味で低域を見切ったモデルばかりだ。だから正直、GX100にも低音は期待してなかった。だがLUXMANやPASSで鳴らすと、「思ったより量感があった」なんてレベルじゃないボリュームの低音が出た。

 しかも量感だけでなく質もいい。非常に俊敏でスピードのある低音で、バスドラのキックは「ストン」ではなく、「トトッ」だった。私は重く踏み込むバスドラが好きだから好みでいえば軽すぎるが、まあ高解像度でクリアな全体の見通しからいえばトレードオフである。それだけ中高域は澄み切っており、「解像度の高い音はこうだ」の見本みたいな世界だった。

 ただ気になるのはソースによって、マグネシウムのツイータから出るシンバルが支配的になる点だ。そのため音場全体がシャリついた感じになる。ただこれも高音域のリアリティとトレードオフの関係だろう。高域のインパクトが強いぶん、ピアノやシンバルのアタック感がリアルだから痛し痒しである。

■ヴォーカルの質感のよさは特筆もの

 そして特筆すべきはヴォーカルの質感だ。この日はカサンドラ・ウィルソンをじっくり聴いたが、店員のオニイサンが「うぉぉ」と唸りを上げるほどすばらしかった。情感がよく表現され雰囲気もいい。聴いてるうちに熱いものがこみ上げてくる歌だ。

 もちろんカサンドラだけでなくアレサ・フランクリンも非常に歌っており、ヴォーカル物を聴くスピーカーとしても一級品といえるだろう。

 ペア10万円クラスではずっとNo.1だったDYNAUDIO Audience 42が生産終了した現在、同クラスでこのレベルの音が出せるスピーカーはDYNAUDIOのDM2/6、X12と、GX100以外にはおそらく存在しない。(GX100は実売・約8~9万円)

 低域の質感は好みが分かれるが、長所と短所を相殺すればトータルバランスはいい。特にDTM環境などのセミプロユースとしてもおすすめだ。FOSTEXの同シリーズでは低域がタイトなG1300や、(FOSTEXにしては)低音の量感がありスピードやキレもいいトールボーイのG1302と並び買いですな。

【関連記事】

「FOSTEX G1300、歯切れのいい軽快なスピード感を味わう」

tag : SOULNOTEFOSTEXGX100sa1.0ma1.0L-590AIIINT-150Audience42

日本に1本しかないカートリッジ、AIR TIGHT PC-1の鮮烈な音にやられた

AIR TIGHT PC-1※AIR TIGHT PC-1

Transrotor ZET 3 ※Transrotor ZET 3

■すさまじいライブ感と音の鮮度に腰が砕ける

 日本に1本しかないカートリッジを聴いた。AIR TIGHT社の超ハイエンド・カートリッジ「PC-1」だ。70万円のアナログ・レコードプレーヤTransrotor ZET 3に150万円のアンプ(YBA PASSION 300 INTEGRE)、AIR TIGHTのカートリッジ「PC-1」という、盆と正月がいっしょにきたような組み合わせである。

 結論から先に言えば、やっぱりCDプレーヤなんて「本物」のアナログ・レコードプレイヤにはとうていかなわないんだな、って感じだ。

 なんせ音が出た瞬間、腰から崩れ落ちそうになるんだもん。もうね、花形満に満塁ホームラン打たれてマウンドに座りこんだ星飛雄馬状態なわけ。

 それくらい鮮烈で、ライブ感がすごい。生まれてこのかた、一度も聴いたことがない圧倒的な音だった。もう「すさまじい」のひと言だ。暖かみや楽器音のインパクトなど、ベクトルでいえばこの質感は明らかに「真空管アンプの方向だな」と感じた。

 こうしてあれこれ試聴してると自分の好みがわかってくる。どうやら私は明らかにデジタルアンプの方向じゃなく、アナログ・レコードプレイヤと真空管アンプが嗜好に合う。

 もちろん楽器のアタック感やヴォーカルの生々しさなど、こやつとくらべたら我が家のCDプレーヤなんてチリみたいなもんですわ。えらいすんまへん。


(追記)当初、本文で「日本に1台しかないTransrotor ZET 3」としていましたが、日本唯一なのはTransrotor ZET 3ではなくAIR TIGHT「PC-1」の誤記でした。お詫びして訂正致します。

tag : TransrotorAIRTIGHTPC-1

広い音場と甘く芳しい蜜の味、YBA PASSION 300 INTEGRE

YBA
ATOLLの兄貴分みたいなおフランスのアンプ

 我が家のアンプ、ATOLLの兄貴分みたいなおフランスのアンプを聴いてきた。YBAのPASSION 300 INTEGREだ。CDプレーヤーは同じくYBAのPASSION 400、スピーカーはDYNAUDIOFOCUS110を組み合わせた。

 YBAブランドを運営するPHLOX ELECTRONIQUE(フロックス・エレクトロニクス社)は、1986年、パリ郊外に設立されたフランスを代表するハイエンドメーカーだ。ブランド名は設計者のYves-Bernard ANDRE(イブ・ベルナール・アンドレ)の頭文字を取り、YBAと命名されている。

 さて肝心の音なのだが、ATOLLととてもよく似た傾向で甘く朗らか、鷹揚そのもの。ヨーロッパ的な潤いがあり、暖かくやわらかい質感が特徴だ。特に中低域にかけては厚みがかなりあり、音がぐいぐい前へ出る。低域が豊かに鳴り響く感じである。

 躍動感やエネルギー感も、これまたATOLLととてもよく似ていて笑ってしまった。やっぱり国によって音の傾向ってあるんだろうか。

■音場が縦方向に1.5倍も広がった

 最大のハイライトは、圧倒的な音場の広さである。実はYBAの前に別のアンプを聴いていたのだが、YBAに変えたとたん音場が上下方向へ1.5倍も広がり驚いてしまった。スピーカー間が濃密な音符で満たされ、とても豊かな音場感を体感できた。

 たとえばジャズ・ギタリストのJohn Scofieldが、2004年に発表したアルバム「That's What I Say」。1曲目の「Busted」では、Larry GoldingsがHammond B3オルガンで弾くベースラインが「ブウン、ブウン」と唸る。まるで風切音が聴こえてきそうな力感が味わえた。

 かと思えば1970年代の泥臭いスワンプもバッチリだ。マイ・フェイバリットなギタリスト、Jesse Ed Davisのデビュー曲「Reno Street Incident」(1970年)のダルでワイルドな雰囲気がよく出ていた。低域の量感が豊かなために、ドラマーのAlan Whiteがキックするバスドラの口径がとても大きく感じる。おもしろいものだ。

 まあ定価150万円近いアンプなんだからよくて当たり前といえばその通りだが、とってもおいしい時間が楽しめました。オジサンは買えないけどね。

tag : FOCUS110DYNAUDIOYBAATOLL

オーディオ批評は必ずだれかを傷つける

 ブログや掲示板でオーディオの寸評みたいなことを書くようになって以降、客観的な批評と社交辞令の折り合いのつけ方が「むずかしいなぁ」と実感している。「この機器はここがこうダメだ」と思っても、それをそのまま書くと持ち主のだれかを必ず傷つけるからだ。

 基本的に私は好みで判断するのではなく、極力、客観的に書くよう心がけている。自分の好みを主観的に書く場合も、「この部分は好みだから、どっちがいい悪いの問題ではないですよ」的なことを書き添えるようにしている。

 あるいは「ここまでは客観的な批評だが、ここから先は個人的な好みにすぎないよ」と、そう読めばわかるような書き方をしている。だがそれでも気分を悪くする人は必ず出てくる。

■愛機と「自分」を切り分けできないのが人情だ

 ネガティブなことを書く場合も、あくまで機器のデメリットを淡々と客観的に書いているだけだ。別にその機器の悪口を言ってるわけでもなければ、罵っているわけでもない。またそれは機器そのものを分析しているのであり、持ち主自身を貶しているわけではもちろんない。

 だがマイナス評価を受けた機器の持ち主は、まるでわがことのように感じてしまう。機器そのものと自分自身とを切り分けて考えるのがむずかしいのだ。で、決まって感情的な反応をする。つまり愛機と自我が同一化しているのである。

 私も人のことは言えないので自戒を込めて書くが、単なる嗜好にすぎないものが自我と一体化してしまっているこういう人って特に日本人には多い。

 たとえば日本人はディベートが下手だ。ネット上でもリアルの世界でも同じだが、オーディオに対する意見が人と食い違うと衝突し、すぐケンカになってしまう。自分の意見や思考自我そのものとを仕分けして考えられないからだ。で、反論されるとまるで自分自身を否定されたかのように感じて冷静さを失い、ヒステリックな反応をしてしまう。

■自主規制して長所しか書かないのではオーディオ評論家と同じ

 もちろん人間は機械じゃなく感情のある生き物だから、自分の愛する機器をネガティブに書かれれば気分いいはずはない。当たり前の話だ。ましてや人間の嗜好や価値観は人それぞれであり、「正解」なんてない。だから互いに尊重し合うのが当然である。

 ただし、だからといって「あっ。このスピーカーはAさんが持っているから悪くは書けないな」などと自主規制していたらどうなるか? 広告主であるメーカーの顔色をうかがい、当たり障りのないことしか書けないオーディオ評論家と同じになってしまう。

 こんなふうにみんなが遠慮し合っていたら、ネット上にはどうでもいい情報ばかりがあふれ返るだろう。その結果、持ち主のAさんでも評者でもない第三者が見ると、短所を知り得ない書き込みしか存在しなくなる。こうなってはネットの最大の武器であり魅力である、情報を共有する力と、情報探知能力が半減してしまう。

 やっぱり「いいものはいい、ダメなものはダメ」とはっきり書かなきゃだめなのだ。
プロフィール

Dyna-udia

Author:Dyna-udia
DYNAUDIOというスピーカーに出会ったせいで、こんなブログをやってます。

SP:Dynaudio Confidence C1 platinum,
Pre AMP:Viola Cadenza,
Power AMP:Viola Symphony,
DAC:SOULNOTE dc1.0,
CDT:SOULNOTE sc1.0

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